「人は海から生まれ、森の恵みを享受してここまできました。私たちにとっては海が母、森が故郷だと思います」
観光地なのに観光客が訪れない、八ヶ岳山麓の蓼科の森にひっそりと30年あまり続けるギャラリーがある。高山貴彦さんとアーティストのkoyomiさんが主宰するギャラリー「忘我亭」だ。
毎年開かれる展覧会『着想は眠らない展』では野外の森を舞台に、全国からアーティストが蓼科に集う。森と対峙できる力強いアートに出会うために東奔西走する、高山さんご夫妻の道のりを辿った。
アート業界の約束事を知らないまま、突き進んだ
蓼科に来たのは28年前。北八ヶ岳にある白駒池の幻想的な風景に魅せられて、鎌倉から拠点を移した。森に佇む一軒家でまずはじめたのが西洋と和を融合させた創作料理の完全予約制レストランだった。「つるんとした白い器を使うのは味気ない」と感じたことをきっかけに、日本全国の陶芸作家の工房や展覧会を訪ね歩き、いつしかギャラリーへの道を歩みはじめた。
「ギャラリーをやると言っても、この世界の約束事を何一つ知りませんでした。一年目は自分達が好きだった作家の展示をやりたいと思って、連絡先をなんとか調べて工房に押しかけたり。話をさせていただくと、森の中のギャラリーならやってみようかなと意外と面白がってくれたんですよね」と貴彦さん。
好奇心に駆られて走り回っていたら、当時まだ駆け出しだった加藤委や内田鋼一など人気陶芸家たちの個展を年7回も開くほどになっていた。順風満帆だった頃ふと思った「新たな才能を発掘したい」。それが今二人が最も力を入れる『着想は眠らない展』へとつながっていく。
自分の中に物語があるから、表現が広がる
ギャラリーを続けるなかで、koyomiさんは自分でも作品づくりを始めた。今も日々描き続ける、物語のある絵。バイオリンの妖精アニマと演奏家のドレドを中心に森ではじまる演奏会や、彼らが奏でる音色がさまざまな形や色となって独特の世界観が生み出されている。
蓼科に来る前は絵本の文章を書く仕事をしていたというkoyomiさんだが、今では自分で描いた絵に言葉をのせて映像の絵本を作り絵本作家「koyomi_ehon」として活動したり、タンスに眠って着る機会がなくなった洋服に物語を描いてアップサイクルしたりと、表現の幅が広がっている。
「人はそれぞれ、自分の中に一本の木を持っていると思うんです。あらゆるところに枝を伸ばして色々なことを享受する人もいるし、一直線に伸びて誰にも知られずにスクスク育っている人もいる。木に抱きついたり、葉にそっと触れたりすると心が安らぐのは、自分の中にある木が森と共鳴しているからかもしれません。ちなみに私の木は水目櫻ね、好きだから」
くしゃっとした顔で笑うkoyomiさんは、自分の心の中にも森との物語を持っている。
「一流」だけでなく、
「誰も」が作品を発表できる場に
絵を描き始めて13年が経つkoyomiさんも、はじめは「毎日絵を一つ描いて、ネットのブログに100日間載せ続ける」という地道な日々だった。ところがそれを継続することで、「面白いわね」と次第に反応がくるようになったという。
「子育てで制作から離れてしまった美大出身の女性から『koyomiさんが描いているので私もまた始めました』と言葉をいただいたり、絵を描いたことがないけれどトライしてみますという方がいたり。ネットから実際にお付き合いが生まれて、ついにはギャラリーまで遊びにきてくれたの」
ブログで出会ったメンバー9人で開いた展覧会が『着想は眠らない展』の第0回目となる。
貴彦さんはその時の心境について、「この出会いがきっかけとなって、大物アーティストの個展を開くだけではなくて、これからのギャラリーのあり方として誰もが作品を発表できる場を作りたいと考えました。人間って誰しもアート心はあって、自分なりの表現をすることは誰にでも出来るのではないか、ということを感じていましたね」と振り返る。
展覧会として成立させるために二人で立てた目標は、アーティストを50人集めるということ。一流の作家を訪ね歩く日々から一転して、まだ見ぬアーティストの卵を探す旅に出た。
「工芸家を育てる石川県の金沢卯辰山工芸工房を訪ねてアーティストの卵と話をするなど、二人で全国を周りました。あては何もないけれど、とにかく片っ端から声をかけていきましたね。すると不思議と集まったんです。なんでもやろうと思えばできるものですね」
「先のことは何も分からない。あるのは今だけです」と話す二人の推進力が功を奏した。
都市のギャラリーではできない、
実験的な試み
『着想は眠らない展』を始めて今年で10回目を迎える。屋内と野外の森を舞台に「光」や「音」など毎年違うテーマに沿って、西は佐世保、海外からも現代アーティストや陶芸家、ガラス作家などが作品を発表する。年齢は3歳の子どもから90歳のおばあちゃんと、表現の幅や年齢、制作背景など幅広い。
蓼科の森では都市のギャラリーではできない実験的な試みができる。大物アーティストは新たな刺激を求めて、駆け出しのアーティストにとっては実験の場にもなる。透き通るような青白磁で著名な陶芸家の加藤委は、第一回目の展覧会から参加しているという。最近では陶器だけではなく、ペンキ画や書など陶芸の枠に囚われない新たなスタイルを次々に発表している。これは『着想は眠らない展』で生まれた。
「プロの方々にはこれまでやったことのない表現やスタイルに挑戦してほしいと思っています。彼らは立ち止まって考える暇もなく、次々に個展を開かないといけない。『着想は眠らない展』をきっかけに、作家の世界観や幅が広がる後押しができればこんなに嬉しいことはありません」とkoyomiさん。
森の迫力に負けないアートに答えはない
見知らぬ森の中に作品を展示することに対して参加者に不安が募るなか、最初に手を上げたのは下諏訪を拠点に活動する庭師の所孝一さんだった。「人工物は所詮、自然に淘汰されて土に帰る」というテーマで、土とコンクリートを混ぜて色づけし何層にも重ねた作品を作った。
「作品は軽トラの荷台にぎりぎり乗るサイズで、私たち、ご本人もとても大きい作品だと思いましたが、いざ森の中に置いてみたら自然の大きさに圧倒されました」
所さんがきっかけとなり、アーティストが森と対話し自分なりの物語を紡いだ作品を木々から吊るしたり、立てかけたりするようになっていった。アートに正解がないように、「森の迫力に負けないアート」にも答えはない。大きさや素材で決まるものでもないし、コンセプトが素晴らしくても森に飲み込まれてしまう作品もある。
確かなのは、この森はアーティスト、鑑賞者にとっても「新しい何か」に出会える場所であること。そして「私もやってみたい」と内なる着想を芽生えさせてくれる二人に出会えるということかもしれない。