BOOK&MUSIC
2023.3.22(Wed)
お茶を淹れてひと息つく時間は、
豊かな日常のひとコマです。
ここでは、長野県富士見町で街の小さな本屋
<mountain bookcase>を営む石垣純子さんに
ゆったりと流れるお茶の時間を共にしたい
“森にまつわる本” を案内していただきます。
「種子のデザイン 旅するかたち」
2月と3月ではこうも違うのかというくらい、このあたりでは気温も日差しも、山の霞み具合までもが変わってくる。庭の土の匂いも花が咲くように開いて風に乗り、鼻先をかすめてゆく。
我が家の庭のすみっこには小さな家庭菜園がある。そこは春を過ぎれば気温の上昇とともに、雑草と呼ばれるたくましい草たちに占領されてしまい、草刈りを頻繁にしないと彼らにあっという間に侵食されてしまう。
そんな庭に眠りから覚めたように、春に最初に花を咲かせるのがたんぽぽだ。
庭のたんぽぽは次々と芽を出し、葉は土の上にぺたりと乗せられたように生え、その中心からほんの少し短く茎を伸ばして小さな太陽のような黄色い花を咲かせる。
春のまだ咲きはじめの頃のたんぽぽは、草丈が低いせいもあって、群生するとグリーン地に黄色い水玉柄をちらしたタペストリーのようで、時に雑草のように扱われるたんぽぽといえどもこの時期ばかりは抜く気になれない。
たんぽぽは綿毛になった時の姿形も美しい。綿毛で透けた球形は近づいて見るほどおもしろく、その完璧なデザインは思わず写真に撮りたくなる。そしてふうっと息を吹きかけて飛ばしたくなることも含めて、植物たちの戦略なのかもしれないとすら思う。
2011年にLIXIL出版から出版された『種子のデザイン 旅するかたち』は、植物たちが繁殖のために作り上げてきた種子のデザインやその生存の工夫を、美しい写真とともに解説した本だ。
この本でも、花が咲き終わった後から綿毛になる前までの間のたんぽぽの知られざる知恵が解説されている。
たんぽぽは花が終わると後から咲く他の花たちの邪魔にならないようにと、いったん茎を土に横たえ、そのまま地表で横方向に茎を伸ばすのだそうだ。やがて花の代わりに種が作られ時が満ちると、今度は他の草より高くなるよう空に向けて長い茎を起こして、先を丸く開いてあの綿毛の球形となって、風に吹かれてパラシュートのような種を飛ばす。
私はこの一連の流れを知って思わず感心してしまった。身近なたんぽぽひとつとってもその形だけでなく、成長の動きまでもが巧妙に計算されているのだ。
この本では、種子のかたちに隠された工夫にはじまり、さまざまな植物たちの生きる知恵に触れることができる。人類はこうした植物を手本にして発明の歴史を重ねてきた。
白を背景に撮影された種や木の実の写真は、どのページも彫刻のように美しい。
私たちが悩み、笑い、時に苦しみながら日々を暮らしているのと同じ時間軸の中で、植物たちもその知恵と遺伝子を繋ぎながら過ごしているのだ思うと、地球上に生きる生きもの同士として、「お互いよくやっているじゃあないか」と励まし合いたくなってしまう。
PROFILE | プロフィール
長野県出身。文芸書から絵本まで、新刊と古本を扱う小さな本屋<mountain bookcase>店主。2004年より約8年間ブックカフェの責任者を経て、2013年より移動書店の形態で活動をはじめる。2018年韮崎に実店舗を構え、2020年秋に地元の八ヶ岳の麓・諏訪郡富士見町に移転。人生に欠かせないのは旅と本。
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