LIFE
2023.8.16(Wed)
多拠点生活やリモートワークといった
暮らしと働き方の変化に伴い、
はるか昔から人々の身近にある「森」との関わり方にも多様性が生まれています。
ここでは様々な角度で樹々と関わる方に話を伺い、「森と寄り添う暮らし」のヒントをお届けします。
歴史をつなぎ、湯を守る。
日本最高峰から日本最高所の
野天風呂へ
日本最高所の野天風呂が、八ヶ岳にある。
標高2150メートル。
本沢温泉が141年間にわたって守り続けてきた野天風呂「雲上の湯」だ。
眼下に湯川。
頭上に硫黄岳。
乳白色の源泉をなみなみとたたえた雲上の湯は、四季を通して訪れる多くの登山客を癒やしている。
歴史ある山小屋の支配人を務めるのは、「大人になるまで標高1000メートルを超える山には登ったことがなかった」と話す松本慎太郎さん。八ヶ岳にたどり着くまでの旅路と、山の暮らしについて聞いた。
八ヶ岳、湯元 本沢温泉
山小屋の朝は早い。午前4時起床。すぐに薪ストーブの火をおこし、発電機をつけ、朝食の準備に取りかかる。宿泊客とスタッフの朝ご飯が終わったら清掃の時間。冬は客室で使う豆炭あんかの準備もする。掃除が終わるころ、次々と到着し始める登山客を迎え入れ、松本さんはひとりひとりに声をかける。
「本沢温泉には野天風呂『雲上の湯』のほかに、館内に『苔桃の湯』があります。このふたつの湯は泉質が全く違います。外の温泉は硫黄の匂いが強いので、先に野天風呂に入ってから中の温泉に入ると、匂いが中和されていいですよ」
登山道や温泉の整備、薪割りといった外作業も欠かせない。日が傾いてきたら、厨房は夕食の準備で忙しくなる。冬場は調理のほとんどを薪ストーブでまかなっているそう。
「キャタピラー付きの運搬車が小屋まで上がって来られる夏のうちに、薪用の丸太を上げておきます。最大800キロ、細めの原木だったら2メートルのものを5本くらいは一度に運べます。お客さんの少ない日はひたすら薪割りをして冬に備えるので、僕の体は薪割りでできているんです(笑)」
東京都の東村山市で生まれ、3歳から静岡で育った松本さんは、自然が大好きな子どもだったという。
「小学生のころは流木で筏(いかだ)を作って、溜め池に浮かべて遊んだり、友だちを誘って野宿をしたり。小さなころから焚き火が好きでした。海や川で遊ぶことが多かったかな」
中学生になると、いじめっ子を見返そうと格闘技を始める。空手の道場に通い、通信教育でもキックボクシングを学ぶ毎日。めきめきと力をつけた。
絵を描くことも好きで、高校では美術部に入部。卒業後は東京のデザイン専門学校に進んだ。
「グラフィックデザインの基礎を学んだ後、広告を制作する撮影スタジオで3年間働き、その後フリーランスで照明の仕事に携わりました。格闘技も変わらず好きで、そのころはムエタイに力を入れていました」
20代前半でバブルが弾けてからは、職を転々とする日々が続いた。28歳の時に、東京の暮らしに見切りをつけ、静岡に帰ることを決めた。
その後の静岡での出会いが、松本さんの人生を大きく動かしていく。
富士山、そしてタイへ
静岡に戻り、引っ越し屋でアルバイトをしていた松本さんは、同僚と釣りの話で盛り上がり、トローリング(船を走らせながらルアーで大型の魚を狙う釣法)を楽しもうと何度かタイまで遊びに行った。
ちょうどそのころ、アルバイト仲間のひとりが「夏が来たら辞める」と言い出した。理由を尋ねると、富士山で働くという。
「それ、僕も行けないかなって言ったら彼が紹介してくれて、とんとん拍子で富士山の頂上にある山小屋『山口屋』で働くことが決まったんです。登山の経験はほとんどなかったけど、山の上で働いてみたいと思って」
山口屋の営業期間は、例年7月から8月のおよそ2カ月間。雪解けが進んだ7月上旬、スタッフは小屋開けのためブルドーザーに乗って頂上に上がる。もともと自然が好きだった松本さんは、夏場でも平均気温が5℃前後という標高3700メートルの環境にもすぐに慣れた。
「夕方の休憩時間は、1周2.5キロメートルほどの山頂の火口の周りを毎日走っていました。当時もムエタイや空手は続けていて、格闘技のプロになりたいと思っていたんです」
そういえば、と松本さんは振り返る。
「下山の時は荷物だけブルドーザーで運んでもらって、僕らは走って山を下りるのですが、標高2500メートルあたりでいきなり緑の香りがしてくるんです。それまでわずかな高山植物しか生えない環境で60日間過ごし、いろんな匂いを忘れていたんですよね。あの時感じた植物の甘い香りは、いまでも強く印象に残っています」
2カ月間働いて貯めたお金を持って、松本さんはタイに向かった。初めは釣りが目的だったが、徐々に現地の知り合いが増え、土産屋や島巡りのガイドといった事業を営むようになった。
だまされたり、トラブルに巻き込まれたりすることもあったが、松本さんはタイでの暮らしを気に入り、富士山から下りると毎年のようにタイに通った。
「5年間、山口屋で働いた後、営業期間が少し長い七号目の山小屋『大陽館』に移りました。すごくよかったのが、日本で3カ月半ぐらい仕事をしてタイに行くと、向こうではちょうど雨季が終わってハイシーズンに入る絶妙なタイミングだったこと。富士山にいる間に日本では夏が終わってしまうから、夏を満喫するためにもタイに行っていました」
山と海、日本とタイを行き来する生活が10年目に入った2004年12月、インドネシア・スマトラ島沖大地震が起こった。松本さんが拠点にしていたタイのピピ島も地震と津波で大きな被害を受けた。
「普段なら僕もタイにいる時期でしたが、たまたまその年はけがをして、治療のため日本に残っていたんです。富士山から下りてきた後、親戚の手伝いで伐採をしていたらチェーンソーで手を切ってしまって」
1年の4分の3近くを過ごしていたタイでの暮らしは、突然の終わりを迎えることになった。
初年度から小屋の支配人に
富士山で一緒に働いていた仲間のひとりが八ヶ岳の山小屋で働くと聞き、タイに行けず時間を持て余していた松本さんは八ヶ岳に向かった。
「八ヶ岳縦走の2日目に本沢温泉に泊まったのですが、小屋の周りに水が豊富にあって驚きました。飲み水がこんなに流れ続けている環境って富士山では考えられなくて。その上温泉まであって、毎日お風呂に入れるじゃんって。ちょうどアルバイトを募集していたので、冬の間は本沢温泉で働くことにしました」
夏には再び富士山に戻る予定で働き始めた松本さんだったが、本沢温泉のオーナーからグループ山荘である赤岳頂上山荘の運営を手伝ってほしいと頼まれ、そのまま夏も八ヶ岳で働くことになった。
「富士山での経験を買ってくれたのか、本沢温泉でも赤岳頂上山荘でも、初年度から支配人を任されました。赤岳頂上山荘は引き継ぎもなく鍵だけ渡されて『後は頼むよ』って」
普通なら戸惑ってしまいそうな状況だが、松本さんは「自分のやり方で自由に運営でき、僕にとってはむしろ好都合でした」と朗らかに笑う。料理や大工仕事、インフラ整備まで、山で「生きる」ために必要なことが一通りでき、その上、人が好きで気遣いに長けた松本さんにとって、山小屋の仕事は天職なのかもしれない。
こうして、冬の間は本沢温泉、春から秋にかけては赤岳頂上山荘の支配人という八ヶ岳での生活が始まった。
春夏秋冬、どの季節も好きになった
八ヶ岳の生活が13年目に入った2020年春、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令された。赤岳頂上山荘は2020年度全期の営業停止を決断。松本さんは通年で本沢温泉の支配人を務めるようになった。
赤岳頂上山荘はおよそ3年間の休業期間を経て、2022年に営業を再開した。しかし松本さんは、「僕はこのまま本沢温泉を守っていくつもりです」と、コロナ禍に起こったある変化を教えてくれた。
「以前は冬が一番好きでした。辺り一面真っ白になり、閉ざされる感じがして落ち着くんです。冬は登ってくるお客さんも限られるので、時間の流れもゆるやかですし。ところが本沢温泉で一年を通して過ごすようになったら、春夏秋冬どれもいいじゃんって、全部好きになったんですよね。むしろ、なんでいままで嫌っていたんだろうって」
厳しい冬を越え、春の日差しを一心に浴びる柔らかな苔や、朝露をまといピカピカと輝くカラマツの新芽。日に日に変化する植物の様子と風景に、松本さんは目を見張った。
「本沢温泉と赤岳を行ったり来たりしている時は気づかなかった自然の変化に、ここ3年で気づけるようになったのかもしれません」
八ヶ岳の森に響くハーモニカ
最近、絵を描くことを再開したという松本さんは、YouTubeで勉強しながら書き溜めたスケッチブックをこっそり見せてくれた。
「本沢温泉があるアニメに取り上げられたことをきっかけに、オタク系の男の子たちが日帰り入浴に来てくれるようになったんです。僕、彼らと波長が合うんですよね。僕もアニメが好きだから、話しているうちに非常に仲良くなったりして。いまは、本沢温泉のキャラクターを考案中です。これまで登山に興味のなかった人が、山に足を運ぶきっかけのひとつになればと思っています」
「それから音楽も好きなんです」と車から取ってきてくれたのは、掌におさまるころんとしたハーモニカ。「旅に持っていけるから」という理由で19歳のころから始めたそう。
「即興で、その時の気分をハーモニカに乗せて演奏します。赤岳頂上山荘にいたころはよく吹いていました。コロナでしばらくお休みしていましたが、落ち着いたら本沢温泉でも小さなコンサートを開きたいですね」
「よかったら、最後に」と言って、松本さんは山麓の自宅で、明るいメロディーの中にどこか哀愁漂うハーモニカを聞かせてくれた。小さなボディーからは想像できないほど豊かな音が部屋を満たしていく。
松本さんの奏でるハーモニカが八ヶ岳の森に再び響く日、森は、私たちにどんな景色を見せてくれるのだろう。
Text_Nana Akasabi